文京区本郷の新星学寮に住むようになってから、もうすぐ2年が経つ。2019年の4月に転居してきたとき、次女は新3年生だったので、慌ただしく転校手続きを済ませたのを思い出す。最初、家から一番近そうだし、学校の敷地内に学童保育所があるという理由で、私は次女を本郷小学校へ通わせたいと思っていた。それで文京区役所に、本郷小への転校手続きが可能かどうか、電話をかけて確かめた。その時の教育課の職員とのやりとりは次のようなものだった。
私「本郷小に入れたいのですが、転校先の希望を出すことはできますか?」
職員「文京区は、住所地によって小学校は決められていて、希望を出すことはできません。そちらのご住所だと、セイシ小学校になります。」
私「え?そうなんですか?セイシ?なんとか本郷小へ入れてもらえませんか?職場に行く途中に送り迎えできるし、便利なんですけど。」
職員「いいえ、それはできません。」
不承不承電話を切って、まぁ決まりなら仕方ないかと思った。しかしセイシ?一体どんな字を書くのだろう。調べてみると誠と書いて之と書く。「誠之」と書いて「セイシ」と読む。こんな読み方をするのは、聞いたことがない。なんでこれでセイシと読むのだろう?そこで嫌〜な予感(?)がした。
予感は的中した。「セイシ小学校」は公立小学校の「御三家」の一つと数えられる、明治の初めからある小学校だった。日本の最高学府東大に最も近く、古くから学者や外交官、政治家などの子息が通ってきた、ある意味で日本国内で親の社会的ステータスが最も高い小学校である。御三家と言われるくらいだから人気があるので、希望者が殺到する恐れがある。それを知って、文京区に小学校の選択制がないことに納得した。住所地で小学校が決まっているから、どうしても入れたかったら、引っ越してくるしかない。しかしこの辺りは大きなお屋敷が多く、規定で高層ビルは建てられないところだから、大型マンションはない。簡単に家を買うことはできない上、賃貸住宅の家賃だって想像がつく。だからセイシ小の親たちというのは、社会的地位や経済水準、教育水準に関して言えば、日本全体の0.1パーセントにも満たないくらいのハイソサエティな人たちの集まりなのではないかと思う。
そんな超特殊な小学校にいきなり通うことになってしまい、私の方が戦々恐々となってしまった。追い討ちをかけるように、文京区の茗荷谷に住んでいる大学時代の友人に、「誠之小学校に通うことになったよ。」と報告したら、「セイシになっちゃったの?うわ〜」と同情された。子どもの世界はどこもそんなに変わりないのだろうけど、問題になるのは常に大人の世界で、親同士の付き合いが大変、というようなことを彼女は言っていた。まあでも、みんながみんな、東大卒で会社の社長で、敏腕キャリアウーマンで、というわけでもないだろうし、私みたいな普通な庶民の親も少しはいるだろう、と思うようにしたら、なんだか逆にどんな所か楽しみになってきた。
当の次女はというと、145年の歴史のある学校の帽子(校帽)をすっかり気に入り、帽子に校章の小さなバッチをつけるのであるが、これでまたさらに気をよくした。彼女は引っ越しと転校がすごく嫌だったのである。子どもはみんな、一度はバッチコレクターになるくらいバッチが好きだ。(最近はあまりバッチがなく、シールコレクターになることが多い気がするが)彼女は転校してから今まで、一度も帽子を忘れて登校したことがない。なぜなら朝起きて着替えをしてそのまますぐに校帽を被ることを常としているからだ。つまり、帽子を被ったまま朝ごはんを食べている。そんなに早く被らなくてもいいのに、と思うが、そんなに学校が好きならまぁいいか、と思うようにしている。
そしていよいよ新3年生がスタートしたわけだが、登校初日から、同じ通学路を歩いていた同じクラスの女の子と知り合うことができた。さすがセイシの子らしく、高級デパートの子供服売り場のモデルになりそうに可愛くて華やかで、しかも初対面でニコニコ笑顔を向けてくれて社交的な子だった。うーん、さすがだなあと思った。
次女は学校の初日帰ってきた時に、ある報告をとても嬉しそうにしてくれた。それは、「2番目になった!」ということだった。背の高さで整列する順番のことである。保育園時代から2年生の終わりまで、彼女はとても小柄で一番前だった。「気をつけ、前へならえ」でいつも腰に手をあてていた子が、初めて両腕を前に出すことができた感動である。私は次女の嬉しそうな顔を見て、本郷小じゃなくて誠之小学校に来れてよかったと、運命に感謝した。
余談であるが、次女は体が小さかったのだが、小学校1年生になったらグーンと他の子と同じくらいの背の高さになると思っていたらしい。1年生になる前に「わたしは小学生になったらみんなみたいに大きくなるんでしょ?」と聞かれたことがある。その時、「そんなに急には大きくならないよ。」と説明したら怒ってしまったのである。創作童話の傑作の一つに「大きい1年生 小さな2年生」(吉田 足日著)という本があるが、この本の中に全く同じようなくだりが出てくる。体が小さい子というのは、もしかしたらみんなそう思っているのかもしれない。
6〜7歳頃の子どもの世界の捉え方というのはまだ直線的で、言葉をそのままに解釈する。私もこの頃、同じような体験をしたのを覚えている。私の兄は逆子で生まれたのだが、それを母が「アキラは足から出てきた」と言っているのを聞いて、お母さんの足から兄が生まれたと思っていた。どのようにそれが可能であるかどうかはわからない。しかし母の言葉を聞いてそう解釈していた。そう言う私を見て父が「ちゃんと教えないとだめだろう。」と母に言ったのを、遠い記憶からたぐり寄せることができる。
しかし7歳から8歳になる頃には、世界の捉え方がぐんと大人に近づく。懐疑的になり、世界を支配している法則がわかっていく。100年以上前の心理学者ジャン・ピアジェの認知発達理論では、7歳からは別の段階に分類されているが(concrete operational period:具体的操作期)、7歳で分けたピアジェはやっぱりすごいと思う。という訳でその前の6〜7歳頃というのは自由に言葉を操ることはできるが、内面世界はまだまだ曖昧でオリジナルなので、会話するのがとても面白い。
話が横道に逸れてしまったので、誠之小学校の話題に戻ろう。親の心配をよそに、次女は順調に友達ができて、夏頃にはクラスメートの男の子の家にも遊びに行くようになっていた。ある夕方なかなか帰ってこないので、その男の子のお宅に迎えに行ったら、「どうぞどうぞ」と私まで家の中に入れて下さった。素敵なお宅で明るくて気さくな奥様で、この辺りの教育事情を色々話してくれた。そこで私は衝撃的な事実を知った。それによると、
奥様「誠之小の子は塾に行ってる子が多くて、6年生の8割くらいは中学受験するんだけど、うちは公立中学でいいと思っていて、この子の兄も公立の第六中に行ってるんですよ。だけど、第六中って偏差値がすごく高くて、この間86点を取ったのに成績表で「3」をつけられちゃったの。ひどいでしょ?そんなんだったら、弟の方は私立に行かせようかと思ってるんですよ。」と。
子どもがやっと本気になって勉強して、初めて「4」か「5」を取れると思ってたのに、「3」をつけられた親の悲哀が伝わってきた。成績の相対評価が恨めしく思えてくる。あれは子どもの頑張る気持ちを失くさせるシステムだと思う。それに、内申点は高校の入試に大いに関係するのだから、学校間の公平性に問題があると思う。
またまた横道に逸れてしまったが、セイシの子の8割くらいが中学受験というのにも驚いたが、希望の私立中に行けなかった子が公立に流れることで、公立中が普通の公立でなくなっている。普通、公立中学は勉強のレベルが低いという理由で私立中学に行くはずなのに、ここでは逆の現象が起きているというのだ。とんでもないところに来てしまった、とショックだった。しかしうちは私立中学に簡単に行かせる経済的余裕はないから、こうなったら、なんとかここで頑張るしかなさそうだ。という訳で、4年生になった次女のために毎朝15分くらいの時間をとり、暗算の練習や漢字テストなどをするようになった。あの奥様から聞いた話が頭の片隅をいつも占拠しているからである。カネがないセイシの親は、親業を全うするのも大変である。
誠之小学校区に引っ越して来て、一番良かったと思うのは、子どもが安全に子どもらしく遊ぶ環境や友達を得たことである。確かに塾通いをしていたり、お稽古事をしている子はとても多いが、それがない日は、子どもたちはだいたい決まった公園に自然と集まって、ワイワイ遊んでいる。次女も、週に4〜5日は「今日は〇〇ちゃんと遊ぶ」と言って飛び出して行く。大きな公園はないから、10人以上も子どもたちが集まると手狭ではあるが、その中でみんなで鬼ごっこをすることが多いらしい。それに誰かがいじめられたり、仲間外れにされたり、という話も聞いたことがない。あらゆる面で恵まれた環境に育っている子どもたちで、心の栄養がたっぷりだから、いじめのようなことが少ないのだと思う。
学校の友達について、もう少し話そう。これがまたすごい。名字を聞いたら、某国の歴史上有名な王族の名字で、どうも末裔らしい子がいる。しかしあまりに普通にしているので、聞くに聞けない。他にも、次女が仕入れて来たネタによると、〇〇くんのひぃひぃじいちゃんは夏目漱石の友達だったとか。〇〇くんのお父さんは、数学オリンピックのチャンピオンで、〇〇君自身も高校の数学の勉強をしてるとか。同級生には、日本語が全く話せない外国の子が転校して来たり、親の海外赴任を終えて外国から戻って来た友達、外国へ行ってしまう友達など、外国がらみは少なくない。
親のラインナップもすごいに違いないが、すごい人たちは自分のことをあまり話さないので、あまり知らない。ただ子どもは子ども同士で話すから、そこからちびちびと情報を得るようにしている。しかし織田信長の関係が徳川家康になったり、夏目漱石が福沢諭吉になったりするから、信憑性には注意が必要だ。こうして全く意図せず、「御三家」の小学校に転校してきたが、ここに来れて本当に良かった。経済的にも精神的にも、教養の面でも日本一豊かな人たちのいる環境で、次女はのびのび育っている。そして私もまた多いに刺激を受けて、毎日をエンジョイしている。
いつもランドセルと一緒にセットされている校帽
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