寮伝統の「食事会」


今回は新星がくりょうがどんなところかということと、寮伝統の「食事会」についての話です。

私が現在住んでいるのは新星学寮(シンセイガクリョウ)という国際学生寮で、大学や会社の付属の寮ではなく、アジア学生文化協会が運営する民間寮でかなり個性的なところです。全部で14人の学生が入居できますが、そのうち5人は日本人であとは外国人留学生と決められています。母体に「アジア」と冠している学生文化協会なので、基本的にアジアの留学生を募集しています。アジアの中でも出身国が偏らないように、一つの国の出身者が基本的に3人までとなっています。

なぜアジアなのかというと、設立そのものの動機が、日本が先の戦争においてアジアの国々へ侵攻、支配したことへの悔悟の念から発しているからです。寮の歴史は長く、今とは場所も名前も違うところから始まったのですが、その時から数えると80年以上を数えたので、長い歴史のある学生寮です。現在までに2回の建て替えを経験し、令和元年4月にピカピカに新しくなった寮に14人のメンバーと私たち世話人家族が居住を始めました。(その後長女は学生のフロアに移った)

この寮は、設立者の穂積五一先生の人間性や思想に共鳴して人が集まる場所であったし、先生が亡くなった後もその遺志を受け継いだ弟子たちによって運営されてきました。(実は私の両親も若い頃穂積先生のもとで働いており、深い関わりがありました。)その時代に寮で学生生活を送った人々にとっては、穂積先生や先生の作った寮での生活は自分自身の思想や人生に大きな影響を及ぼしたことを誰もが認めるでしょう。そのため何十年経った今でも、寮の先輩たちにとって新星学寮とは、心の琴線に触れる象徴的存在なのです。

私は新星学寮ではなくて、母体組織であるアジア学生文化協会の別の寮(通称ABK)に25年前に1年ほど住んでおりましたが、たったそれだけの短い期間であっても、外国の学生や研究者と同じ屋根の下に住んだ影響というのは大きく、タイ人である夫と知り合ったのもその寮でした。たった1年、しかもそれほど濃密な関わりを持っていない寮生活でさえそうなのですから、濃密な共同生活であった新星学寮に若い頃に何年も住んだら、人間形成に並々ならぬ影響を及ぼすことは想像に難くありません。だからこそ今でも、何十年前に寮に住んでいたという寮の先輩たちが時を超えて集い、新星学寮友の会を結成し、現在の私たちをサポートしてくれています。

現在の新星学寮は全室個室で洋風の造りなので、昔の寮と全然違う中身になり、現代の生活に合わせてプライバシーはしっかり保てるようになりました。また世話人も、新星学寮のOBではなくてABKのOBである私の夫になりました。時代に合わせて快適に過ごせる寮に生まれ変わり、新しい寮はまさに「新生」した新星学寮です。新世話人と学生で、これから中身をどのように作っていくかが問われています。

濃密な共同生活の新星学寮と書きましたが、「濃密な」という言葉を使うには二つの理由があります。一つは、新星学寮は現在の新星学寮になるまでは、学生たちは二人部屋だったのです。つまり、国も言葉も文化も違う人たちと、二人で一つの部屋を共有しなければなりませんでした。トイレやお風呂、居間はもちろん共用ですし、部屋も二人部屋なのですから、現代の若者でこういう環境に住める人はほとんどいないのではないでしょうか。今はスマートフォンがあるので、友達との通信はどこにいようとプライバシーを保証されていますが、電話しかなかった時代で寮にいたら、会話も全部筒抜けで、本当にプライバシーというのはないに等しかったと思います。自分の家族との生活でさえ、プライバシーがないとつらいのに、習慣も価値観もまるで違う外国人と寝起きを共にし、多国籍の人たちと寮のルールのもと共同生活を送るということは、本当にすごいことだと思います。

私は実は大学生の時、父に連れられて一世代前の新星学寮に見学に来たことがあります。その時玄関に出て来てくれた日本人学生が底抜けに明るく、建物の中をのぞいた印象は、寮というより一つの家という感じでした。あっけらかんとしているその女子学生に圧倒されたこともあり、二人部屋と聞いて「神経質な自分にはとても無理」と感じたのです。だから私は全室個室であったアジア文化会館の寮に入寮させていただきました。

もう一つ、新星学寮を特徴づける最大のものに、定期的に開かれる「食事会」があります。その名の通り、みんなで食事をするのですが、その食事を作る当番は輪番制となっています。昔も今も世話人は家族で居住していたので、みんなで食べるために用意しなければならない食事の量は、10人から20人ぶんとなります。何をどれくらい食べたら適当か、食べる人がその日は何人いるか、準備する食材はどれくらいか、どこからどうやって食材を調達するか、どうやって調理するか、どうやって食卓に出すかなど、ある日の夜の食卓を作るということはとても大変なことです。家庭の主婦も毎日の食事に一番悩み、考える時間や準備する時間は、他の家事行為より格段に長いと思います。美味しくなかったら嫌がられるし、自分も恥ずかしいし、食材ももったいないと思うと、適当には作れません。やっぱり料理というのは、「おいしい!」と言って食べてもらえることが、一番大事なことです。食事をみんなで楽しく美味しく食べるために、当番はその日の夕食に責任を持たなければならないのです。

 ところで食事を作る、という行為は、毎日何回も起こる、ごく簡単で当たり前なことのように感じている人がいるかもしれませんが、家族のために食事を作るということは、実は命に関わる行為です。それは食べ物が身体を作るという意味でもありますし、また、食べる側にとっても命をかけて食べているのです。家族という共同体はお互いを信用しているから、食卓に出てくるものは安全で美味しいと信じて食べることができます。信用のない食卓は、江戸時代の将軍の毒見役を想像すればわかりますが、毎回毒見が必要です。ちゃんと安全安心なものを出してくれているという信用がなければ、我々は本能的に危険を避けるので、ものを口にすることができないのです。外で売っている食品や外食店などは、毒見ができないですが、国による厳格な食品安全衛生基準があるので、これが毒見役の代わりです。日本という国はその点は安心ですから、私たちはこのことをあまり意識せず食べています。余談ですが、タイではそのようなきちんとした基準や許可なく屋台などで食べ物を売っていて、みんな食べていますが、ここでは店の主人の信用や評判が、ある程度毒見の役を担っています。そして最後には、食べる人の舌ですね。「味がおかしい」と感知する舌が鈍感な人は、毒を食べさせられてもわからないでしょう。意識している人は少ないかもしれませんが、よく知らない屋台でものを買って食べるということは、自分の命を自分で引き受けるつもりで食べているということです。

 だからそれくらい、食事というのは、命を預けられる信用というものが不可欠ということです。新星学寮が食事会を重視するのは、まさにお互い命を預けた信用がなければできないものだから、なのかもしれません。かつての寮生活では、毎日毎日寮の学生が作ったものを食べる、そして時々は自分も作る、という営みを通して、お互いの間に揺るがぬ信用と信頼を培っていったのではないかと思います。

私たちの新しい新星学寮でもこれまで何回も食事会を行いました。少し前の食事会では、実は子どもが口に入れたものの中から、プラスチックの破片が出てきたことがありました。食事作りに慣れていない男子学生が作った料理でしたから、どこかで混入してしまったのでしょう。幸い何でもありませんでしたが、料理を担当した学生はさぞ責任を感じたことでしょう。この失敗を通して、人のために料理することの大変さと責任の重さを感じてもらえたらいいですね。

 そして最後に、食卓を囲むことは「命を預ける」という原則以外に、やはり人間にとって社会的で本質的なものであると感じます。おいしいものを一緒に楽しく食べられるということは、友好や愛の証です。お互い気が合わなくて仲違いをしている人と一緒に食事をしたら、どんなにおいしい食事もおいしいと感じないし、そもそも食欲さえ減退してしまいます。寮も様々な人間関係がありますが、みんなでご飯を食べるときは、そういうのは忘れて楽しく食べましょう、という雰囲気に自然となります。大人数のメリットかもしれません。大きな輪の中に入れば、「自分はあの人は嫌い!」というような個人の好き嫌いで全体の雰囲気を悪くすることは憚られます。みんなで楽しく食卓を囲む、という経験を繰り返すことにより、お互いの差異を乗り越え仲良く暮らすということを体得していくのだと思います。

以前は新星学寮の食事会は毎日に近いくらいの頻度だったので、食事当番もしょっちゅう回ってきて、とても大変だったと思います。今は時代が移り変り、昔と同じようにすることは難しいですが、食事会の伝統は続いていて、現在の寮でも月に2回は食事会を開いています。月に2回の開催を決めたのは、1年目の学生たちで開いた寮会での話し合いでした。寮が開いてもうすぐ2年になりますが、2週に1回くらいの食事会だったら自分の生活の邪魔にもならないし、適度に交流し、適度に距離をとる現代の若者のスタイルに合っているようです。そして現在の食事会の特徴は、「特別に美味しいものをみんなで食べる会」というように認識が様変わりしているのを感じます。だから、普段はあまり手に入らない食材を買いに行って、美味しいものを作ったり、お酒やおつまみも出てきます。一次会が食事で、有志による二次会が開かれ、学生たちは夜遅くまで話したりゲームをしたりしています。このようなスタイルがいいかどうかはまだよくわかりませんが、最低限定期的に集うという目的は達成できていると言えます。新星学寮のもう一つの伝統は、往年の寮の先輩によると質素や倹約でした。しかし昔と異なり、現代の日本に留学してくる大学生で有名大学に進学しているような若者は、裕福な家庭の出身者が多いです。質素や倹約という寮の伝統をどのように復活させていくかが、今後の課題と言えるかもしれません。

この日は、中国の学生が連れ立って、魚市場に刺身や鰻を買い出しに行って、用意してくれました。本当に豪勢な夕食会でした。びっくり!

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病院勤務4年、医療通訳2年、保育園3年、重症心身障害児施設8年、医療系ITベンチャー、看護教官、訪問看護師のキャリアのタマヤワが、育児・看護・介護について新しい視点から言葉にします。効率重視の社会の狭間に落ち込んでいる人々に目をむけ、弱いものに生きやすい社会を目ざします。資格等:看護師/保健師/養護教諭2種、タイ語医療通訳、キャリアアドバイザー、日本社会事業大学修士、toeic815点(2023)

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