訪問看護と在宅ケア雑記 ①2020大晦日の贈り物

2020年の大晦日は、在宅ケアの仕事を午前中4時間して帰ってきた。仕事が終わってお暇するとき、写真の贈り物を頂いた。ケアをバトンタッチした息子さんから、「母から、年末年始に来てくれてる人へのプレゼントです。どれがいいですか?」と言われて、一つ頂いてきた。中身は、ハンドタオルだった。母、というのは私がケアを提供しているALSの72歳女性の患者様である。2019年の11月から、看護学校教員の仕事のかたわら、在宅ケアの仕事を始めたので、一年以上のお付き合いになる。施設や病院での看護師の仕事ではなくて、訪問看護は初めての経験であるが、私の患者さんは後にも先にもこの女性患者さんただ一人である。最初は月に2回くらいのつもりで始めたが、ケアギバーが足りない現状を見て、今はほぼ毎週日曜日の午前中のシフトを担当している。

ALSという病気は、れいわ新撰組の船後(ふなご)国会議員の誕生で、日本では今までALSを知らなかった人に、このような病気があることを知らせる契機になったかもしれない。もっとも、この病気の有名人は少なくない。アメリカでは、昔の有名な野球選手の名前を冠してルー・ゲーリック病という別名で知られている。他にもこの病気にかかった有名人は多数いるが、車椅子の理論物理学者のホーキング博士も、車椅子に乗って体を傾けた姿が印象的であった。(2018年に逝去)ホーキング博士の場合は、ALSを発症してから奇跡的に病気の進行が止まり、車椅子姿のまま50年ちかく研究をされたようだ。一般的には、船後国会議員のように、麻痺が全身に及び、動かせるのは眼球だけ、というような状態になることが多い。またその眼球も動かすことができなくなり、意思を表す手段を全く奪われる、完全閉じこめ状態(Totally locked-in state:TLS)という状態になることがある。そうなると患者は、心の中で色々思っても、それを表現する手段を一切持たず、動かない体の中に閉じ込められる(locked in される)状態になってしまうから、本人にとっても介護者にとっても、この病気の末期に対しては恐ろしさを禁じ得ないだろう。

私が担当している患者さまは、眼球の動きはまだまだ健全であり、文字盤を使って十分にコミュニケーションをとることができる。文字盤で一文字一文字を目で追い、介護者と患者の間で言葉を紡いでいくのであるから、大変なコミュニケーションであることは間違いない。しかしlocked in stateの可能性を思うと、文字盤でしっかりやりとりできるだけで、意思疎通としては十分に思えてきてしまう。ところで船後国会議員は聞くところによると、文字盤でのコミュニケーションだけではなく、奥歯で噛むことができるようで、噛むことによりパソコンを操作し、執筆や会社の経営なども行なっているようである。私がずっと以前に知り合ったALSの男性患者さんは、片手の人差し指の指先だけほんの少しまだ動かせるということで、そこにブザーを設置して、「はい」の時はブザーがなるような仕掛けで、コミュニケーションを取っていた。病気の進行具合、特に、体のどこが最後まで意思の通りに動かせるか、ということが、ALS患者さんのコミュニケーションの鍵となる。

ALSという病気は、運動神経だけが侵されて、感覚や意識は正常のまま維持されると言われている。病気が進行すると、体はほとんど一切うごかせなくなり、呼吸は24時間の人工呼吸器を使用し、食事は胃に開けた胃瘻から摂取し、排泄は下剤と浣腸を利用して介助者に全てやってもらうことになる。このような状態がいかにつらいものであるかは、いくら資料を読んで理解したところで、想像にあまりあるものである。

体の位置がおかしくて首や背中が痛くても、介助者に伝えてわかってもらえるまでは、直すことができない。普通の人たちは、体がいつも快適な状況で入られるように、自然に姿勢や体勢を調節している。寝ている間も然りである。しかし全く動くことのできないALSの患者さんは、一部に負担のかかる楽でない体勢や手足の位置関係をとっていても、その状態が下手すると何時間も続いてしまうことになる。ご本人が自覚して文字盤で直してほしいと表示できたら早く調整することができるが、本人もそこまで自覚していないような場合だと、後になって内出血や痛み、潰瘍形成などの問題が出てくる。普通の人と違って、筋肉がやせ細り手足の筋肉は機能していないから、血液循環やリンパ液の循環が極端に悪いのである。だから、色々な問題が生じやすい。

普通の人は、全く身動きせず寝ていなさい、と言われたら、一体何分間耐えられるだろうか。私は30分もそのままでいられるかどうか、自信がない。おそらく、体の色々な部分が気になりだし、動かないつらさで、どうにもならなくなると思う。かゆみを感じだしても掻くことが許されない。手を1センチ動かしたいと思っても、することができない。このような状態で24時間他者からの介護を受けて生活するということは、凄まじい忍耐力の必要とされることだと思う。

私は毎週日曜の午前中の時間帯担当なので、行う処置といえば決まっていて、浣腸をかけて便を出すという排泄ケアと、経管栄養と、体位変換と、口腔ケアである。そのうち、排泄ケアのあとはベッド上でお下(しも)を洗い、新しいオムツセットに交換するのであるが、一通りのケアが終わった後いつも「お体で気になるところはないですか?」と尋ねることにしている。しかし私の患者様はほとんどいつも、「とくにないです」と文字盤で答えてくださる。「ないわけなのに‥。つらいところがあるはずなのに。どうして、そんな風に受け入れられるのだろう!」と思わずにいられない。私だったら、介護者のやり方にいちいち文句が出てしまうと思う。なんでもっと丁寧にできないのかしら、とか。布団を急にとったら寒いじゃない、とか。もっと足をしっかり曲げてほしい、とか。それなのに「いいです。」「ありがとう。」とおっしゃる患者様に、本当に頭が下がる思いをしている。

大晦日に写真の贈り物を頂いた時に、「私は看護師だから、年末年始に働くのは当たり前ですよ。気にしないでいいんですよ。」と伝えたら、見開いた目が少し潤んでいらした。きっと介護者に対して、色々言いたいことはあるのだろうと思う。しかしそれを言ったらどうなるだろう、と考えて忍耐したり、言葉を飲み込んだりしているに違いない。ケアギバーが足りないという現状だって、気にならない訳はない。

2021年を迎えて、どのような障害や病気があろうと、「こうしたい」という強い思いを抱いて生きている人の思いを実現するサポートをしたいと改めて思う。ただ生きるだけではなく、美しいものを見に行きたい、外国に行ってみたい、家族とお花見に行きたい、そんな思いを実現するサポートができる新しい年としたい。また、もっと多くの人が、介護を身近にとらえて、日常生活の中で介護があるのが当たり前、と負担なく感じられる世の中の実現に力を尽くす。

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病院勤務4年、医療通訳2年、保育園3年、重症心身障害児施設8年、医療系ITベンチャー、看護教官、訪問看護師のキャリアのタマヤワが、育児・看護・介護について新しい視点から言葉にします。効率重視の社会の狭間に落ち込んでいる人々に目をむけ、弱いものに生きやすい社会を目ざします。資格等:看護師/保健師/養護教諭2種、タイ語医療通訳、キャリアアドバイザー、日本社会事業大学修士、toeic815点(2023)

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