最初に成績とか受験を意識するようになったのは八王子に住んでいた頃で、都立中高一貫校進学に興味を持った時だった。長女は5年生だったが、都立中高一貫校の話を最初にしたのは、母親の私だった。幼児期にいわゆるお受験することはもとより、小学生に受験勉強を始めさせるのは、まず本人の意思ということはなく「親」の意図である。中学受験までは、ある意味親の受験なのである。親が中学受験のメリットを熱く語り出すと、たいていの子どもは「じゃあ、やる」と意思表示する。それはやはり、その方が高校受験がなくなって好きなことできるし、教育内容がいいから「いい大学」に入りやすくなるし、頭のいいあなたならきっとできる、と親から言われたら、子どもはいい気持ちになって受験したくなる。我が家も私のそのような誘導のおかげで、彼女はすっかりその気になり、受験する!と話すようになった。ただうちの場合は、私立中学に進学する経済的余裕はなかったので、都立中高一貫校だけを目指して自分で努力し、ダメだったら地元の中学に行こうと決めていた。しかし実はこの程度の決意だと、難関の都立中高一貫校は全然歯が立たない。そういうレベルの受験を「記念受験」と言うのだそうだ。
たとえ「記念受験」でも、勉強する習慣がつくならいいのではないか、と思って始めてはみたものの、振り返ってみれば失敗と言わざるを得ない。そう、長女の受験戦争は、完全な失敗から始まったのだった。都立中高一貫校はその地方の優秀な子たちがこぞって受験するので、入学試験は非常に難しい。よくあるのが、国語や算数というような教科ではなく統合問題として出題される問題群だ。理系の問題であれば、基礎的な算数や理科の知識をさらに発展させ、解き方を工夫し正解に辿り着かなければならないし、国語や社会の問題であれば、論理的な文章を書いたり、図やグラフを読み取って考察する力が試される。
受験を決めてから、言い出した手前ということもあるが、親の自分の方がやる気になってきた。小学校の内容だし、自分が一生懸命教えれば案外いい線いくのではないかと楽観視した。そこで過去問題集を買って理系の問題を解いてみたところ、難しくて時間が大幅に超過してしまう問題ばかりだった。中には、全く歯が立たずわからない問題もあった。娘に教えるときは、自分が全然わからなかった問題に対しては、「こういうのはやらないで捨てるのがコツ」とめちゃくちゃな教え方をしていた。「とにかく過去問をやりなさい」と強いて早くから過去問題集に向かわせたが、あれは彼女に苦痛と劣等感を味わわせただけの完全な失敗だった。まずは、過去問題集が解けるくらいの基礎力と応用力をつけてからでないと、できないからである。できないのに、最初からやらせてしまうとやる気が失せてしまうのであるが、勉強に限らず育児において、子どもの意欲を無くさせるのが、もっともダメなやり方である。
そんな訳で、塾にもいかないし、自力での対策も全然効果が上がらないまま、受験を迎えた。タイ人の夫は能天気な性格なので、「〇〇ちゃんなら受かる!」と全く根拠のない励ましをずっと言っていたが、私にはできなかった。試験が終わった後の彼女の反応からして、おそらく10パーセントも解けなかったのではないかと思う。ちなみに、同じ学年から3人受けて、ただ一人の女の子が合格した。その子は、平日は週3回くらい、地域の進学塾に夜遅くまで通い、土日は朝から夜まで一日10時間くらい勉強していた。他にも、都心にある有名私立女子中学に合格した子がいたが、その子も同様で、塾での勉強がすごすぎて、学校では起きていらず休み時間は机に突っ伏して寝ていたそうだ。それくらいに勉強しないと入れないし、それくらいの覚悟で勉強に臨まないと、進学校の合格は勝ち取れないのである。
そういう訳で親の立てた戦略がまずかったせいで、記念受験に失敗し長女は地元の中学に通い始めた。住んでいた団地の真ん前にある中学で、幼稚園から一緒の友達もいたので、ザ・地元中学というような感じで中学時代を過ごした。良かったのは、前々からやりたいと思っていた生徒会長になれたことである。人前に出て演説するようなことが大好きな子なので、中学生らしい選挙活動をして、同じように立候補した友達と一騎打ちで戦い、全校による選挙で大勝利をおさめて生徒会長になった。それで始まった生徒会活動は、彼女にとってとても充実した時間で、先生や友達にも恵まれた。実はその地元の中学は、いじめや校内暴力でかなり荒れた中学だったが、一方では健全な生徒会活動をみんなが応援してくれるような環境があった。実はここでの生徒会長としての働きは、のちのAO入試で大いに役に立つことになった。AO入試で第一次の提出書類に自分の業績を書かなければならないが、その時にこの時のことを書いたのである。そしてAO入試の書類審査は難なくパスした。
中学の時から大学受験のことを考えて行動を決めろ、と言ってしまうとあまりにも計略的になってしまうのでよくないと思うが、親としてはやはり、子どもが色々なことをやりたくなるように導く、ということはとても大事なことだと思う。子どもにはそれぞれ、好きなことや得意なこと、やってみたいことがあるはずだ。「お母さん、〇〇やってみたい」と子どもが気持ちを口に出してくれた時に「何それ!」とか「できる訳ないじゃない」などの言葉は絶対に言ってはならない。思春期の子どもは、そう一言言われたら、もう二度とその気持ちを言うことはできなくなる。そして「自分は何をやってもできない」と潜在意識を植えつけることになり、それが「何もやりたくない」と言う子どもにしてしまう。もしも自分の子どもが無気力であったり、「好きなことは何もない」と言って毎日つまらなそうにしていたら、自分のそれまでの声のかけ方を振り返ってみる必要がある。実はこのことは、静かに始まっている受験戦争に、すでに乗り遅れていることをも意味する。子どもが好きなことに一生懸命になってやったことは、大学受験においても、色々な場面で語る材料になってくるのだ。何もないと、語ることができない。しかし過去を取り戻せないから、何もない人は、学力一本で勝負するしかなくなる。これは子どもにはとてもきついのである。
幸い生徒会長になれた、ということは、記念受験で失敗したことの傷をなんでもないものにしてくれた。しかし勉強の方は、勉強している割にはなかなか伸びなかった。ノートを異様に丁寧に書くタイプの子で、テストもその調子で文字を書いてたら時間が足りないよ、と何度言ってもその習慣は変わらなかった。塾には行ってなかったが、宿題もきちんとしているし、テストの前には自分で夜遅くまで勉強していた。しかし取ってくる点数が、満天の半分にも満たないことがよくあったので、「この子は勉強は苦手なのかな。」と母親の私は密かに悩むことがあった。自分も夫も、勉強はできない方ではないし、そこそこ名の知れた大学を卒業しているので、知らず知らずのうちに娘は自分よりできて当然と過剰な期待をしていたのかもしれない、と思うようになった。最初のうちは、今はまだ伸びていないからだ、これから伸びるのだ、と思うから励ますのだが、そういう期待が重荷なのだろうか、と悩んだりもした。
中学2年の夏ころだったか、あまりにも成績が伸びないので、塾に行くようになったが、少しはよくなったものの、やはりダメだった。その割には理想が高く、漫画「コウノトリ」の影響で医学部に行きたいと言われた時には、「この成績でそんなこと言うなんて、一体どうなっているんだろう」と思った。それに娘は、どう考えても医者向きの性格ではなかった。私は看護系大学出の看護師であるが、医学部に行く人たちがどういう人たちで、医者はどういうタイプの人が向いているかということをわかっているつもりだ。しかしはなから、「まず無理でしょう」と言うことはできないので、「ふ〜ん、そうなんだ」と肯定も否定もせず様子を見ていたが、内心不安が募った。
中3になり、塾に行ってもろくに宿題もやらないし、全くお金を捨てているような状態になったので地元の塾は一旦やめさせた。夏頃になり、さすがに娘も焦ったのか、「大手の〇〇塾に行きたい」と言うようになった。つまり、進学率で有名な塾にいけばできるようになる、という大誤解である。私はこういう考えは全く正しいと思えないのであるが、思春期真っ只中の娘は言うことを聞かない。さらに、日本の受験事情に全く疎い夫が娘の見方をするものだから、夫と娘は反対する母を尻目に大手の進学塾に見学に行った。そこで吹き込まれたのが、「医学部に行きたいなら、日比谷高校くらいを目指さないとダメだ」ということだった。中3の夏の時点で、地元の普通の中学で上位にもなれない子に、なんで日比谷を目指せなんて吹き込むんだろう?」と、私はこの時心底腹が立った。そう言い放った塾講師は、子どもや何も知らない親を餌食にしているとしか思えなかった。しかし夫と娘は真に受けて、夏休みは電車で30分近くかかるその大手の進学塾に通うことになった。しかしおそらく、ついていけなかったのだろう。すぐにやめることになった。思春期の育児の難しさは、子どもの言うこと頭から否定することは避けなければならないのに、友達やネットの情報を鵜呑みにするために、主張してくることが突拍子もないものだったりすることだ。否定するとさらに意固地になったり、別の方向に歪んでいってしまう恐れもある。この時期の育児のポイントは、多少時間やお金がかかっても、子どもの主張を受け入れてなるべくその通りにしてあげることかもしれない。それで失敗した、という経験をすれば、自然とわかってくるものがある。また、勉強についても、「あなたはできない」と言ってはいけない。言わなくても子どもは自然と、自分の学習能力がその時点でどれくらいかわかってくる。それが自然とわかるようになるまで、「どうせ無駄」と思わないで可能な限りお金をかけてあげることが必要なのかもしれない。それはお金を捨てているのではなく、子どもが自立するために自分自身と向き合うためにかかる費用なのだ。思春期という大事なこの時に、子どもが自分自身がどれくらいできて、どういうことは無理なのか、ということをある程度知るようになることは、自分の足で人生を歩く土台になると思う。そしてそれはお金ではないかもしれないが、別の形で親にしっかり返ってくる。そう、子ども自身の「自立」という形で。
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2022.08.22 01:49