受験戦争の終わりに、始まりを考える①〜AO入試で勝つ!〜

 2021年の年末12月30日だったと思う。文京区内の有名神社はどこも年始になると参拝者の大行列ができる。せっかちの私は行列に並んで待つことができず、三が日は本殿前でお詣りができない。だからいつも、年末に神社巡りをして一年の感謝の言葉を伝えて歩く。年の瀬目前の30日や31日の昼間は、境内には大抵真っ白の作務衣姿や白袴の若い神主さん達が(見習いの人もいるのだろうが)作業をしている姿を見るだけだ。そういう時にそっとお詣りをして、「ちょっと早いですが‥」と前置きをしてから一年の感謝と新しい年の御守護を祈るのだった。しかしこの日、12月30日の昼間なのに境内が人でごった返している神社があった。どこだったかというと、湯島の天神さまのところである。文京区にある湯島天満宮は、458年に建立され、祀られている神様は学問の神様である菅原道真公である。そうなのだ、小学校から大学までの受験生の父や母が、合格祈願に訪れているからだった。本殿では合格のご祈祷が何回も執り行われているため、年末から大忙しの神様がここにいた。

 実はかく言う私も、長女の受験が近づいていた頃何回も湯島の天神様に合格祈願に訪れた。私の場合は湯島の天神様だけではなく、根津にある根津神社、本郷三丁目からほど近い三河稲荷神社、櫻木神社、さらには台東区の不忍池辯天堂(神社ではないが)にも参拝して必死で祈っていた。神様選びに見境がないことに、自分自身若干恥ずかしかった。しかし言い訳のようだが「合格させてほしい」と祈ったのは本当に最後の最後で、その前は「(長女が)自分の道を見つけて歩いていけますように‥」という祈りだった。それに、「たとえどんな結果になっても、親として適切な振る舞いができますように‥」という祈りだった。祈ったから合格できる訳ではないのはみんな知っているのだから、祈りというのはやはり、自分と向き合う作業なのだと感じる。受験する本人ももちろんそうであるが、どちらかというと、本人を周りで支えている親の方が、祈らずにいられなくなるものだろう。「こんなに頑張っているのに合格することができなかったら、どんなに悲嘆するであろう」「そうなった時、どんな言葉をかけたらいいのだろう」と思う親心が、年末のご祈祷に向かわせるのかもしれない。

 しかしこれだけ祈りまくったので、長女が合格通知をもらったその日から、御礼詣でが大変だった。これもまた何回も御礼に訪れたので、神々にはさぞご迷惑だっただろう。本人だけではなく私たち家族の喜びは、それくらいに大きかったのである。長女の高校は有名進学校でもないし、その高校の中でも、学力別のクラスは下の方に属し、受けられる大学が限られていた彼女が、私立大学の建築学科ランキング1位の誰もが知っている大学へ合格するなど、誰が予想できるだろうか?もちろん、学力試験をまともに受けるのでは到底偏差値が足りなかった。だから彼女は自分の強みを生かし、AO入試で合格を果たした。

高校3年生の春頃に、長女から最初に志望校を告げられたとき、正直言って私は「はあ?」という感覚だった。「そんな偏差値の高いところ、無理に決まってるでしょ。やめなさい!」と、はっきりは言わなかったが、あの手この手でもっと偏差値の低いところで、彼女に向いていそうな学科をいくつか勧めた。夫も無理なく入れそうなところがいい、という意見だった。親は二人とも、この娘は学力試験で点を取ることに一生懸命になるタイプではない、ということはこれまでの成績を見て痛いほどわかっていたからだ。(試験の点がうまく取れないことは、必ずしも頭が悪いということを意味しない。)しかし親からのそのような超現実的な反応にも、彼女はめげなかった。ここに行きたい!AO入試だったらここに入れる!という、思い込みにも近い自信があったのだ。それは結果的には正しかった。

実は、AO入試対策で色々な書類を書くようになって、長女の得意なところがだんだん明らかになって、建築学科で勉強するに足るくらいの力を持っていると、親自身が初めて知ったのだった。ここで勉強したい!自分だったらできる!と確信を持つことが、AO入試では鍵になる。そして「自分の強みをアピールすれば、きっと自分はここに入れる!」という予感みたいなものは、とても大事な要素なのかもしれない。学力ではなく、個性や創造性や社会性で勝負するAO入試では、ダメそうな時はダメで、本人が行けそうな時は行けるということだ。

 学力試験を受けたわけではないし、期間的にも短いものであったが、しかしあの受験間際の緊張は紛れもなく「受験戦争」だった。受験戦争というのは、子どもだけではなく家族で戦うものなのだ、ということを私は今回の経験で知った。いやむしろ、家族で戦わないで、どうやって勝てるのか、それを知りたいくらいだ。受験生の栄養管理のために弁当や夜食を用意したり、ストレスなく生活できるようそれとなく配慮することは、家族の協力なくしてはあり得ない。それ以外にも、塾の情報を調べたり、入塾前の面談に一緒に行ったり、良さそうな参考書を探してきたり、受験のスケジュールを把握してお金の準備をするなど、やることは沢山ある。何よりきつかったのは、第一志望に落ちた時つぎはここ、その次はここ、と次の選択肢を一緒に探し、最悪の場合に備えることだった。それは、厳しいかもしれないが、自分の実力を認めさせる大事な過程であるし、「結果がどうなってもなんとかなるよ」という、親ができる最大限の精神的サポートなのである。

AO入試の結果は11月4日に出たので、我が家の受験戦争は推薦入試の子よりも早く、高校の中で一番早くに決まった。だから志望校を決めてから終わるまでと考えれば、受験戦争の時期はたったの半年だったということになる。しかし実は、受験戦争は本当はもっと前に始まっていたのだ。そう、成績や進路を意識するようになる小学校高学年から大学受験までが、長い長い戦争だったのだと感じる。子育てをする過程で、誰もが悩む子どもの成績と進路の問題。早い人で幼稚園や小学校の「お受験」から始まるわけだが、中学受験も高校受験も、大学受験での勝利というただ一つのゴールに向かうための、断続的に親子で戦う長い戦争なのである。

 長女の受験戦争が終わった後初めて、この苦しみがいつ始まったものだったかを、考えるようになった。育児は楽しくて仕方がなかったが、子どもの成績が奮わないと、それはどうにもならない苦痛と不安を子どもと親の双方にもたらす。私も、まさか最後にAO入試で勝つとは思ってなかったから、何とか試験でいい点をとらせよう、成績をあげよう、と奮闘し続けた8年間だった。子育て初めての我々夫婦には、受験サポートでは失敗が多くてかわいそうなことをした、と後悔することがある。結果として本人が望む形に幸運にも結実したが、そうでなかった場合どうしたらいいのだろうか、と不安に過ごした日々は、本当につらいものがあった。日本で子育てをする親にとって、受験戦争は避けて通れないものである。思春期という多感な時期に、このようなストレスを乗り越えなければならないことは、あまりいいとは思えない。このシリーズでは、育児と受験というテーマで何がよかったか、何が悪かったかを振り返ってみたいと思う。

湯島天神のお札 早朝ジョギングで撮影


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病院勤務4年、医療通訳2年、保育園3年、重症心身障害児施設8年、医療系ITベンチャー、看護教官、訪問看護師のキャリアのタマヤワが、育児・看護・介護について新しい視点から言葉にします。効率重視の社会の狭間に落ち込んでいる人々に目をむけ、弱いものに生きやすい社会を目ざします。資格等:看護師/保健師/養護教諭2種、タイ語医療通訳、キャリアアドバイザー、日本社会事業大学修士、toeic815点(2023)

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